3−1、 8月3日の夜、マナは自室にいた。 机の前に置かれた椅子に座って、魚を模したヘアピンを指先でいじっている。表情は暗い。 もともと戦うことが好きではない彼女は2年前の戦いが終わったとき、普通の生活に戻れることを ガチャフォースの誰よりも喜んでいた。髪を切り、可愛らしくなったのはその現れである。 だが机の上でGレッドの治療を続けるナオの姿からは、戦いが再び訪れてしまった現実を いやおう無く感じてしまう。 マナはヘアピンに触れていた手を下ろし、呟く。 「姉妹だからって、お姉ちゃんとしか組めないなんて…」 そう口にしたのは、辛さを少しでも軽減させようとしたせいだ。 ガチャボーグたちは昨日のうちにそれぞれのパートナーのところへ戻り、 GFコマンダー達は二人以上で行動している。今頃カケルはコタローと一緒に自宅にいるだろう。 「でもミナのこと、嫌いじゃないんでしょう?」 手を休めずにナオが言うと、マナは「そういうことを言ってるんじゃないの!」と 椅子から勢いよく立ち上がった。 「はいはい、分かってるわよ。カケル君もずいぶんカッコよくなったもんね」 背中を向けたままのナオの言葉に、マナは勢いを失った。 自分だけでなく、カケルが褒められることにも嬉しさを覚えるようになったことが 彼への想いに気づくことのきっかけであったからだ。 ナオはそれを知っていたから、今の言葉を投げることでマナを嬉しくさせることができた。 「あ…ありがとう、ナオ」 照れくさそうにするマナに、ナオはいたずらっぽい表情で振り向いた。 「前みたいにサスケにイタズラされることも無くなったんじゃないかしら?」 「…もう! 知らないから!」 マナはどかっと椅子に座り、回転してナオに背を向ける。 体の大きさを無視すれば、2人は仲のいい姉妹のように見えた。 部屋の外で足音がする。それは瞬く間に近づき、やがて音を立てて部屋のドアが開かれた。 「マナ! 大変よ!」 入ってきたのは姉のミナだ。 戦いの予感に、マナは体を硬くした。 3−2、 百十中学校の旧校舎裏に、ネコベーはいた。胸ポケットの中には半壊したヴラドがいる。 受験対策の合宿を終えて家に戻る途中、いきなり現れたガチャボーグに襲われたのだ。 「おいおい…話が違うぜ、ショウ」 言いながら校舎の壁に背を預け、ズボンのポケットから携帯電話を取り出す。 ボタン押すとすぐにコールが始まった。 相手の番号は“緊急連絡先”に登録されているため、操作はワンボタンで済む。 1日を通して日陰である時間の方が長いこの場所は湿気が多くて、雑草がコケのように隙間なく生えている。 その不快さに耐えながら、ネコベーは一刻も早く相手が出てくれることを祈った。 「――どうしたの?」 「中学の旧校舎裏にいます。できるかぎり人数を集めてきてください。敵に追われてるんです」 「わかったわ。待ってて」 通話を切って携帯をポケットに戻すと安堵の息が漏れた。あとはどうにか時間を稼ぐだけだ。 ネコベーは胸ポケットのヴラドに一度目をやってから、隠れることが出来そうな場所を探して走り出した。 不意に視界の左端に小さな光が映った。 ネコベーの後ろから飛んできたそれは折れ曲がるように方向を変えると、目の前に落ちてくる。 「追いつきやがったか!」 ネコベーが振り向くと、ガチャボーグとしては最大クラスのボーグ――フォートレスボーグの デスアークがいた。 デスブレンが倒れた後、地上に残っていた全てのデスボーグは機能を停止した。 タマとパートナーを結んでいたデスアークとて、その例外ではない。 デスアークのボディは父親のところに戻ったタマが持っていったはずだが、 目の前に浮かぶ紫の船体は紛れもなくデスアークだ。 (ちくしょう、どうすりゃいいんだ?) ミナがまっすぐこちらに来ていたとしても10分以上かかる。 ボロボロのヴラドだけで稼げる時間ではない。 「鬼ごっこはおしまいかな?」 ネコベーは耳を疑った。デスボーグは自分の意思を持たず、言葉を話すこともできないはずだ。 「ごめんごめん、驚かせたね。この声はデスアークのものじゃない。  こいつのデータクリスタルを通じて、僕が声を送っているのさ」 「てめえ…Gブラックとかいう奴か」 「知ってるなら話が早いや。ヴラドを降ろしなよ」 「冗談じゃねえ! これ以上ヴラドに手出しさせねえぞ!」 「また逃げるつもりかい? 臆病な人間だ」 Gブラックは嘲笑するように続ける。 「本当に悲劇だよねぇ、高貴なバンパイアさん。そんな逃げ腰の人間がパートナーじゃなければ  2年前だってもっと脅威になれただろうに」 「フ…それは勘違いというものだ」 眠っているように静かだったヴラドが口を開いた。 「ネコベーは逃げたのではなく、私を守ろうとしたのだよ」 「ヴラド…」 「デスブレンとの戦いを経てネコベーは変わった。それを示す機会がなかっただけのこと。  見せてくれよう、ネコベーと私の力を!」 ヴラドはポケットから飛び出し、両手にシャドーブリンガーを出現させた。 「ネコベー、バーストだ!」 「だけどおまえ、そんな体じゃ…」 シャドーブリンガーは出現させているだけでも使い手の生命力を奪っていく剣だ。 傷ついた体で使おうとすれば、自らを窮地に追い込みかねない。 ためらうネコベーに、ヴラドは自身に満ちた声で返す。 「奴に接近するのは難しいが、バースト状態であれば不可能ではない。  どのみち長く戦っていられない以上、一撃で仕留める!」 「一撃だって!?」 信じられなかった。フォートレスボーグを一撃でしとめる攻撃など、 並のガチャボーグにできるはずが無い。 「高貴なるバンパイアだけに内在する力…それを使わせてもらう」 「…わかった。お前を信じるぜ、ヴラド!」 金色の光に包まれたヴラドは高く飛び上がり、デスアークに向かって空を蹴った。 「そうこなくっちゃねえ!」 Gブラックの歓喜の声と同時に、デスアークの全砲門から光が放たれる。 無数の光線を左右にかいくぐりながら、ヴラドはデスアークの右舷に取り付いた。 「受けよ…甘美なる悲劇の舞、華麗なるブラッドダンスを!!」 回転しつつ、両手の剣で船体を削っていく。 通常ならシャドーブリンガーを通してヴラド自身に流れてくる敵のエネルギーは 剣の中にとどまり、剣は船体に触れるたびに切れ味を増していく。 やがて紙をナイフで切り裂くような威力にまで達し、ヴラドは回転しながらデスアークの左舷まで まっすぐに突破した。 着地して、体の前で剣を下向きにクロスさせる。 「今宵の悲劇を、貴方に捧ぐ…」 デスアークの前半分が爆発を起こし、船体は大きく傾いた。 それと同時にヴラドは前のめりに倒れた。両手からシャドーブリンガーも消滅している。 「ヴラド!!」 ネコベーが駆け寄ってくる。 しかしその足は、足元に落ちてきた光線によって止められた。 「まだ動けるのか!?」 前半分を失ってデータクリスタルを露出させながらも、デスアークは落ちていなかった。 「なるほどねぇ…データ通りだ。  でもさぁ、そんな力じゃ足りないんだよ」 動きが鈍くなった砲身が、ヴラドの方へ旋回を始める。 「やめろぉーっ!!」 ネコベーが叫ぶ。 「バイバイ。君は失格だ」 無慈悲な言葉と共に、光は放たれた。 その着弾点は僅かにずれた。 空中に浮かぶ光球から伸びた光が、デスアークの砲身を拘束したせいだ。 「なんだ?」 Gブラックの声がした直後、デスアークのデータクリスタルに光の矢が打ち込まれる。 それは2本、3本と増えていき、7本目でついにデータクリスタルを破壊した。 デスアークは浮力を失って力なく地面に落ちる。 「任務完了」 抑揚の無い声がデスアークの後方から聞こえてきた。 歩いてきたメットが、わざわざアンテナを立てた携帯電話に言った声だった。 「遅いと思って探しに出ていなければ、手遅れだったな」 メットの口調は人事のように冷静だ。 「助かったぜ…ありがとな」 「それより負傷者を運ぶ方が先だ! さっさと行くぞ!」 間髪いれずに大声を上げるメットに対して、ネコベーは(相変わらず礼を言われることが苦手なんだな) と心で呟きながらヴラドを拾い上げた。 「たぶんミナさんと一緒にマナもこっちに向かってるはずだから、途中で…」 そう言いつつ門の方に歩き出そうとしたところで、校舎の陰からこちらを見ている人影が目に入った。 人影はネコベーと一瞬だけ目を合わせると、声をかける暇も無く去ってしまった。 「どうした?」 「リンがいた…なんでここにいるんだ?」 3−3、 リンは部屋に戻ると、頭を抱えてうずくまった。 「懐かしいものが見れただろ?」 Gブラックは窓枠に立ち、リンを見ている。 「ちょっと前までは君もああやってみんなを傷つけてたんだよ?」 「私は…あんなこと…」 涙声のリンに笑いを含んだ声が浴びせられる。 「“したくなかった”とでも言いたいの? でもさぁ、君の意思なんてどうでもいいじゃない。  やってきたことは変わらないよ?」 リンの脳裏に映像が蘇る。数々のボーグを率いてデスブレンのために生きていたころの記憶。 GFコマンダーとそのパートナーを傷つけ、ダークナイトの死に悲しみを覚えることもせず、 ただ操り人形のように生きていた日々。 「イヤ…! 思い出したくない…」 頭を振って意識の底に押しやっていた記憶を再び沈めようとするが、 その力はGブラックの一言によって砕かれる。 「でも消えやしないよ。オロチの記憶も、罪の意識も」 「…」 「それじゃおやすみ、リン」 言葉を失ったリンを残して、Gブラックは窓枠から姿を消した。 意識の水面は浮かび上がってきた記憶で埋め尽くされた。もう沈むことは無いだろう。 リンは焦点の定まらない視線を天井に投げて哀願した。 「助けて…コウ…」 2年前、デスブレンを倒してリンを救ったのはコウとGレッドだった。 ――だけど彼らはGブラックに敗れた。 リンにとっての救いは、どこにもなかった。