43、  ユージの宣言を受けて、トレーニングルームは再び喧騒に包まれた。渦巻いている声の中には、「作戦が あるんだ! これでシンを助けられるぞ!」という希望の声も、「ユージさんはいったいどうやって助けよ うっていうんだ?」という疑問の声もある。そして、「これでようやく、デスブレンとの因縁も終わりか… …」という、万感に満ちたものまでが、混沌とした空気の中に混じり合っている。  しばし壇上に立ち尽くしていたユージは、軽く咳払いをして場の喧騒を落ち着かせると、「作戦の詳細を 伝える前に、現状で得られた情報を共有させて下さい」と前置きしてから、キョウコにスクリーンを起動す るように伝えた。  ユージの脇に待機していたキョウコが、足元に設置されたガチャボックスのスイッチを入れる。ガチャボ ックスの側面から投射され始めた光が、ユージの背後にある白い壁面に画像を映し出す。それはサハリ町全 域の地図だった。ユージは右半身を白い壁に向かって引き、地図を指差しながら説明を始める。 「Gブラックは研究所を襲った後、ジャングル公園に逃走。ジャングル公園の北でアクイラと交戦し、アク イラをシン君ごと乗っ取っています」  白い壁に映るサハリ町の地図に、研究所からジャングル公園までの矢印が表示された。これがデスブレン の進路に当たる。 「我々は以降、このアクイラをデスアクイラと呼称します。デスアクイラはジャングル公園の北に広がる田 園地帯において、グライドに向けて幾度かの火線を放った後、イナリ山方面に逃走しました」  今度はジャングル公園からイナリ山へと、地図上に矢印が引かれる。 「デスアクイラがイナリ山に向かった目的は2つあります。一つは、コタロー君が空に開けたバリアの穴を 通ってイナリ山に降下した、デスボーグたちと合流するため。もう一つは、Gレッド達が乗ってきたガチャ ボックスを自らの拠点として使用するためです。……次の地図をお願いします」  キョウコがガチャボックスを操作して、映像を切り替える。今度は、白地図にイナリ山の等高線を描いた だけの、ほぼ真っ白な地図が出てきた。  白い地図に重なるように、小さな赤い楕円が表示される。その円の中心は、Gレッド達が乗ってきたガチ ャボックスが降りた地点と、ぴったり一致している。 「この赤い円は、80分前に観測されたエネルギーを描いたものです。観測されたこのエネルギーは、ガチャ ボックスにワープエネルギーをチャージする際、発生するものであることが分かっています」 「ワープだと? ヤツの目的は何なんだ?」  壇の下から、ショウが尋ねた。 「デスアクイラはガチャボックスのワープ機能を使い、研究所に攻撃をかけるつもりです。チャージが完了 するのは90時間後。現在時刻は5月5日午前1時ですから、90時間後の時刻は5月8日の19時ですね。この 時刻になれば、デスアクイラは研究所に攻撃を仕掛けてきます」 「なぜ断言できるんだ? チャージが完了しても、ヤツが仕掛けてくるとは限らないぞ? 俺たちに仕掛け ずとも、未来に帰るということもできるんじゃないか?」 「結論からいえば可能です。私たちがワープ用のエネルギーを観測した際、同時に、デスアクイラがガチャ ボックスに、未来から持ってきた簡易転移機を積み込んだことが判明しています。しかし私は、デスアクイ ラは未来に帰還せず、研究所に仕掛けてくると考えています。デスブレンは破壊衝動の塊であり、今回はガ チャフォースを滅ぼすためにわざわざ過去の地球へとやってきています。よほど追い込まれれば帰還するこ とも考えるでしょうが、まずは研究所の破壊を優先すると思われます」 「なるほどな」  ショウは素直にうなづいた。ユージが語るデスブレンの行動原理については、ショウも同感だったからだ。 「……それで、俺たちはどう動く?」 「本日5月5日は、コマンダーの休息とガチャボーグの修理に当てます。翌5月6日は、イナリ山に威力偵 察をかけます。5月7日は再び休息とし、5月8日の決戦に備えます。細かいスケジュールや作戦内容に関 しては、日の出までに資料を作成して、配布致します。現段階で、何かご質問はありますか?」 「……6日の威力偵察というのが気になるな。こちら側がイナリ山まで到達できれば、人が少ないイナリ山 を戦場として選べるからいいだろうが、もし向こうも打って出てくれば、前線がサハリ町内に作られてしま う。そうなれば、人の多いサハリ町内が戦場になってしまうぞ?」 「住民の避難については、既に手を回してあります。サハリ町は今日の18時から100時間、無人になります。 この100時間の内に、我々は作戦を遂行します」 「デスブレンの消滅作戦と、シンの奪還作戦か……」 「そうです。もし我々がデスブレンを消滅させることに失敗し、デスアクイラがシン君を内包したまま未来 に帰ってしまえば、シン君の救出は困難を極めます。なんとしてでも、この100時間で決着をつけなければな りません」  シンの名前が出てきたことに反応したのか、これまで黙していたリンが突然口を開いた。 「……シンは私の弟よ。絶対に助けるわ」  リンの心は、シンが自分を想っていたことを伝えられても、動じてはいなかった。恋人であるショウも同 様のようで、「あいつは俺にとっても弟だ。必ず助けて見せる」と決心を語った。  ショウの言葉を受けて、リンは一瞬だけ口の端を引き上げて笑みを見せた。しかしすぐに真顔に戻して、 「……そうね。それじゃあ、シンを助けられたらあなたのことを許してあげる」と、本心とは違うことを言 ってみせる。  対するショウはいたって真面目な表情で、「ああ、シンは必ず生きて連れ戻す。約束だ」と言ってのけた。  2人の周囲でその会話を聞いていた旧ガチャフォースメンバーの多くは、 (もう許してるんだから、素直に仲直りしようと言えばいいのに……)  と思いつつも、ようやくわだかまりが解けた2人のことを、密かに喜んでいた。 44、  1時間に及んだミーティングは、各自解散という形で終わった。トレーニングルームを後にした新生ガチ ャフォースのコマンダー達は、研究所のロビーから通じている地下道を通って、併設された宿泊施設に移動 していく。今晩からはそこで昼夜を過ごし、今後の戦いに備えることになる。  キョウコも、新生ガチャフォースに同道して研究所のロビーまで移動していたが、そこからはリンと一緒 に別行動をとった。目指す先はロビーの先にあるメディカルルームだ。そこでは意識を失ったままの、シン の“身体の管理”が行われている。 「シンを病院に移さなくても、大丈夫なんですか?」  歩きながら心配そうに尋ねてくるリンに、キョウコは感情を抑えた声で対応する。 「単純に医療設備だけを見れば、確かに病院の方が充実しています。ですが、ガチャボーグ関連の症状に対 する情報は、一般の病院には公開されていません。専門医がいるのもこの研究所だけです」 「……シンを診てもらうには、研究所が一番良いってことなんですね」  リンは自分を納得させるように、うつむきながら呟いた。その横顔に向かって、キョウコは柔らかな声を かける。 「シン君に対して、何かしてあげたい気持ちは分かるわ。でも彼のことは、私たちに任せて大丈夫。あなた はコマンダーとして、デスブレンの手から彼を救ってあげて」  リンは視線を上げ、強い意志を孕んだ瞳をキョウコに向ける。 「……はい。シンは絶対に助け出します」 「私も全力でサポートします。必ず助けましょうね」  キョウコはその表情にいつもの生真面目さを残しながらも、優しく微笑んでみせた。  そのとき、メディカルルームの方から誰かが走ってくる音が聞こえた。足音の主はリンの目の前で急停止 すると、「リンさん!」と叫びを上げて、リンの注意を引いた。 「あなたは確か……ミサキちゃん?」 「ハイッ、そうです!」  ミサキは妙に興奮気味だ。それに嫌な予感を覚えたキョウコが、ミサキの前に割って入る。 「ミサキ、あなた大丈夫なの? ミーティング前までは、あんなにショックを受けていたのに……」 「もう大丈夫です! 私、負けてられないんだから!」 「負けるって、まさか……」  言ったキョウコをぐいっ、と押しのけて、ミサキは再びリンの前に出る。両手を腰に当て、リンに比べて 25センチも小さい身体を反らせながら、リンの目を見据えて宣言した。 「リンさん。私、シン君を助けるよ。どんなことがあったって、シン君を助け出すよ」  リンはミサキの意図するところが理解できず「え、ええ……ありがとう……」と戸惑いながら返すのが精 一杯だった。そんなリンに向かて、ミサキはびしっ、と伸ばした指を突き付ける。 「シン君のこと、絶対リンさんに負けないんだから!」 「えっ……? それってまさか……」 「じゃ、ちゃんと伝えたからね」  言い捨てながら、ミサキは踵を返してメディカルルームに戻っていく。  リンとキョウコは、嵐が過ぎ去ったあとの現場で、しばらく立ち尽くしていた。 『キョーコさーん。まだ始まらないのー?』  端末のそばに置きざらしにされていたインカムから、ミサキの不満げな声が聞こえてきた。  知らぬ間にうたた寝していたキョウコは、ハッ、とまどろみから覚醒して、慌ててインカムを装着する。 「……待たせてごめんなさい。すぐに脳波チェックを開始します」  端末にシンクロシステムが起動していることを確かめながら、キョウコは目の前のキーボードを慣れた手 つきで操作した。画面を脳波チェック用のものに切り替えてから、実行キーを押す。  実行したプログラムが動作するのは、キョウコのいる研究施設ではなく、地上にあるメディカルルームだ。 そこにいるミサキの意識をシンクロシステムとつなぎ、正常に動作するかどうかを確認するのだ。  キョウコは画面に顔を近づけ、グラフの動きを注視した。ミサキの脳波を受けて、グラフが上下に波を作 っている。その動きが正常な範囲にとどまっていることを確認して、「おめでとう。正常よ」と脳波の主に 祝福を告げた。 『やった! これで私も作戦に入れるんだね!』  インカムの先で、ミサキは無邪気な歓声を上げた。  それを聞きながらも、キョウコはグラフの動きを追い続ける。ミサキの脳波は安定しており、戦闘に支障 が出ることはないだろう。むしろ真っすぐに、闘志に満ちていると言えるくらいだ。 (シン君がいなくなった時はあんなに泣いていたのに、もう前向きになっているなんて……。まったく、ほ んとに強い子ね)  もしかしたら、ミサキの前向きさとバイタリティがシンを救うのではないか。キョウコはそんな予感を覚 えていた。   45、  5月5日、午後3時。近藤カズトは研究所地下の実験施設にいた。  体を訓練生用のユニフォームで包み、以前シンとショウが対戦したときのように、防護壁からせり出した 立方体の中に入って待機している。 『これより、形式番号W‐W−6ホワイトウイング6番機と、形式番号JGB−22アルナイルの、疑似戦闘訓練を 開始します』  キョウコの場内アナウンスが流れると、実験施設の中央付近に、ホワイトウイングとアルナイルのバーチ ャル映像が表示された。  カズトが操るホワイトウイングは、得物のミライソードを軽く振りまわした後、アルナイルに向かって真 っすぐに向ける。  対するアルナイルは、いつも所持している弦のない弓を、ホワイトウイングに向けて静かに構えた。 『今回の訓練の目的は、アルナイルの新装備の習熟にあります。近距離戦および中距離戦を挑んでくるホワ イトウイングに対して、アルナイルは新装備を用いて、撃破してください』  キョウコの声に続いて、ナナの声が施設内に流れる。 『訓練生第1期……じゃないや。新生ガチャフォース、三枝ナナ。了解しました』 「新生ガチャフォース、近藤カズト。同じく了解しました」  言ったカズトはインカムの通信をナナへのプライベートに切り替えて、「シンやミサキほどじゃないが、 俺だって上位のコマンダーだ。楽には勝たせないからな」と強がってみせる。しかし実際には、カズトは強 がれる状況にはない。アルナイルの新装備の詳細は、カズトに伝えられていないからだ。 『それでは始めます……訓練開始!』  キョウコのアナウンスが終わると同時に、カズトはホワイトウイングを全速前進させて、いきなり接近戦 を挑もうとした。カズトにしてみれば、これ以外に採れる戦術は存在しない。カズトがナナに勝っている能 力は、格闘能力しかないからだ。  当然ながら、ナナはこれを拒否した。アルナイルを壁際まで後退させつつ、左手に弓を構える。そして右 手を、弦のない弓に近づけた。  すると、本来なら弦があるべき位置に光の弦が現れる。その弦をアルナイルがつかんで引ききると、虚空 からビームの矢が現れ、弦につがえられた。 『行けっ!』  ナナの短い叫びと共に、アルナイルが光の弦から手を離す。つがえられていたビームの矢は一気に加速し、 ホワイトウイングに向かって疾駆してきた。  ビームアローの照準はホワイトウイングの胸部に設定されており、寸分の狂いなく、狙ったコースを駆け 抜けていく。しかし、それは命中することはなかった。  ビームアローのスピードは、バスターレーザーには及ばないものの、戦艦の主砲よりも高速だ。そのため、 発射を確認してから回避することは不可能に近い。そこでカズトは、ナナが矢を放つタイミングを読み切り、 発射の寸前に機体を右ロールさせて回避していたのだった。  ホワイトウイングは、右ロールする間にも前方への推進力を失うことはなかった。左手に装備されたツイ ンビーム砲をばらまいてアルナイルの足を止めつつ、距離を詰めていく。  両者の距離が10メートルにまで近づいたとき、アルナイルが再びビームアローを放つ姿勢を取った。  それを見たカズトは集中力を高めて、アルナイルが矢を放つタイミングを探った。ナナの呼吸を読み切り、 先ほどと同様に、ここぞというタイミングで機体を右ロールさせた。アルナイルの発射に合わせた、完璧な タイミングだった。  しかし放たれたビームアローは、ホワイトウイングのボディに見事に命中した。ビームアローは発射と同 時に拡散し、散弾となってホワイトウイングを襲ったのだ。 「くそっ!」  カズトは悪態をついた。ホワイトウイングの損傷は軽微だったが、散弾を浴びて姿勢を崩した隙をついて、 アルナイルが次の矢を放ってきた。カズトはどうにか機体を捻って胸部への直撃だけは避けたが、左腕に直 撃を受けた。高出力のビームにさらされた左腕は、装備されていたツインビーム砲ごと焼き切られて消滅す る。これでもう、飛び道具は使えない。  カズトは覚悟を決め、ホワイトウイングの機体を水平に傾けてから、ミライソードを頭の方へと突き出し て、飛行体制をとった。  ホワイトウイングの飛行スピードは、アルナイルに劣っている。バーストを使用すれば一時的に上回るこ とはできるが、それでもツインビームによる牽制ができない以上、アルナイルとの距離を詰めることは非常 に困難だ。これが実戦なら撤退の判断をするところだが、この戦闘訓練では、戦闘の途中放棄は認められて いない。スナイパーのナナを相手に、ミライソード1本で立ち向かうという無謀な状況に追い込まれても、 カズトは攻めるしかなかった。 (距離を詰めなきゃ、どうしようもない状況だ。だったら鎧も兜も捨てちまえ。あとはただ、走るだけだ!)  ホワイトウイングは身にまとっていた鎧と兜をパージし、それと引き換えに、自らを金色のバースト光に 包んだ。両翼を左右に大きく開き、干渉翼の出力を全開にして、アルナイルめがけて空を蹴った。  上下左右へと機体を振る戦闘機動を続けながら、カズトはホワイトウイングを猛加速させる。それに対し て、ナナは壁際を回りこむように、カズトから見て右側へと逃げていく。その途上、アルナイルは弓を引き 絞ってビームの矢を放ってきた。  先ほどまでの攻撃とは違って、発射を半呼吸遅くした射撃だったが、カズトはこれも完璧に読んで回避し た。 (アルナイルの性能は知らないが、ナナの性格ならよく知ってるからな!)  立て続けに放たれてきた二の矢も回避して、カズトはナナとの距離を詰める。バーストはすでに切れかか っていて、ホワイトウイングのスピードも落ち始めた。バーストが連発できない以上、カズトに許されるチ ャンスは、この一撃しかない。  アルナイルとの距離が5メートルを切ったところで、カズトはあえて戦闘機動を止め、アルナイルに向か って正面から突撃した。飛行体制を取ったホワイトウイングは、突き出した剣から胸部のデータクリスタル までが一直線になっているからだ。これなら正面から攻撃を撃ちこまれても剣が防壁となり、一撃でデータ クリスタルを貫通される心配は少ない。 (どうせ最後の一撃だ。なら、確実に一矢報いてやる!)  カズトは残りのGFエナジーを干渉翼に注ぎ込み、最後の羽ばたきを行った。アルナイルがビームアロー の発射態勢を取ったが、もう遅い。ホワイトウイングはアルナイルの胸部を狙って、まっすぐに剣を突き出 した。  残り距離1メートルで、アルナイルは矢を放った。放たれた矢はバスターレーザーの如く、発射と同時に ホワイトウイングに着弾した。着弾した矢は、ホワイトウイングが突き出していた剣の先から、頭部、胸部、 そして足の先に至るまで、一直線に直径1センチ程度の穴を開けた。その穴はホワイトウイングの胸部に格 納されているデータクリスタルも貫いており、カズトの機体はアルナイルに届くことなく、推進力を失って 地に落ち、消滅していった。 「な……何だよ、今のは!」  動揺するカズトをよそに、戦闘終了を告げるキョウコの声が流れた。  続けてナナがプライベート回線で、『相手をしてくれて、ありがとう。カズト君って、やっぱり強いね』 とメッセージを送ってきた。  カズトは情けない気持ちで一杯になったが、いつもの調子でナナを褒め返した。インカムの電源をオフに して、溜めていた息を吐きだすのは、それからだった。 46、  カズトとの戦闘訓練を終えたナナは、エレベーターを使って地上に戻り、更衣室でユニフォームから私服 に着替えた。そこを出るとロビーに向かい、マナと合流する。 「お疲れさま、ナナ」  ロビーのソファーで待ってくれていたマナは、ペットボトルに入ったスポーツドリンクを差し出しながら、 笑顔で出迎えてくれた。ナナはそれを両手で受け取ると、マナの隣に腰を落ち着ける。  ナナとマナの付き合いは長く、お互いに考えることはお見通しだ。  マナはまるで訓練を見てきたように、「新しい武器は、上手く使えたみたいね」と言いきって見せた。ナ ナの返答を待つまでもなく、答えが分かっている様子だ。  その様子を見たナナの方も、わざわざマナの言葉を肯定する必要はないと自然に考え、ペットボトルのキ ャップを捻りながら、話を先に進める。 「朝にやった実射は、上手くいかなかったんだけどね。ミナ姉ちゃんが原因を調べてくれてるけど……」  言葉の途中で、ナナは近づいてくる足音に気がついた。音の方へ首をやると、トレーニングルーム側の通 路から、白衣姿のミナが近づいてきていた。小脇には大きめの封筒を抱えている。  ナナのそばに寄ってきたミナは、その封筒から十数枚の紙を取り出した。 「お疲れさま。早速だけど、報告よ」  そう言って差し出された紙をナナが手にすると、ミナは紙の中央付近を指差して報告を始めた。 「カズト君との疑似戦闘訓練の前に行った、実射実験の分析結果が出たわ。射撃が外れた原因は、アルナイ ルが新装備を放つ瞬間、干渉翼の出力が落ちてしまっていることにあったの。そのせいで姿勢が安定せず、 射撃を外してしまったということね」 「それじゃ、実戦で新装備は使えないの?」 「大丈夫よ。アルナイルに補助バッテリーをつければ、出力不足はカバーできるわ。だけどアルナイルの重 量は増えてしまうし、新装備を撃てるのが一度きりという欠点は、変わらないけどね」  マナが驚いた様子で、口をはさんだ。 「お姉ちゃん、新しい武器って、1回しか撃てないの?」 「ええ……。新装備は、まだ試作段階なの。本来の性能は、射程距離50メートル、直径1センチメートルの 射線上に存在するガチャボーグを、発射と同時に消滅させるというものなんだけど……」  ミナは手持ちの資料の中から1枚を抜き出してマナに渡し、説明を続ける。 「試作品では、威力こそ及第点に達しているけれど、射程が5メートルしかないことと連射が効かないこと、 それから消費エネルギーの大きさが解決されていないの。それをいきなり、実戦に投入しているのよ。1回 撃つたびに機体に大きな負荷をかけるから、その都度アルナイルをメンテナンスしないと、安全に使うこと ができない代物なの」 「どうして、そんな未完成品を投入するの?」  マナの問いに、ミナはマナが持っている紙を指差した。マナがそれに目を落とすと、そこには入手不可能 なはずの、デスアクイラの機体図面が記載されていた。 「これって……! どこからこんな情報を集めたの?」 「アクイラがデスブレンに乗っ取られてデスアクイラになっても、研究所とのリンクは完全に切れてはいな いわ。デスアクイラがどこにいるのかまでは特定できないけど、機体内部の情報は、わずかながら入ってき ているの。多分、シン君の精神が抵抗して、こちらに情報を流しているんでしょうね」 「そうだったのね……シン君が情報を……」  マナは感嘆の息を吐いた。洗脳されてなお抵抗を続けるシンへの、素直な称賛だった。 「その情報から、デスアクイラの内部では、データクリスタルが2つに分かれていることが判明しているわ。 片方にはシン君の精神とアクイラのデータが入っていて、もう片方にはデスブレンのデータが入っているの。 6年前のリンのときと、全く同じね」 「それじゃあ、シン君を助けるには……」  紙の束から目を離したナナが、強い責任感を帯びた低い声で言い放った。   「シン君のデータクリスタルは傷付けずに、もう片方のデータクリスタルを撃ち抜くしかない」  ミナがうなずき、「新装備の直径は1センチメートル。そして攻撃持続時間は100分の1秒にも満たない。 高機動型ボーグのデータクリスタルだけを撃ち抜くには、絶好の性能よ」と続ける。  それでもマナは不安げな表情で「でも、たった1回のチャンスで……」と心配して見せたが、その心配を、 ナナは真っ向から跳ね除けた。 「1回のチャンスで当てるのが、狙撃手の役割。これがミオの口癖でしょ?」  ミオとは、ミナのパートナーボーグである、キラーガールの澪(ミオ)のことだ。ナナは幼いころからミ ナとマナ、それから彼女たちのパートナーボーグである、ナオとミオに見守られながら育ってきた。ナナに とっては、全員が“お姉ちゃん”だ。 「フフ、そうね。ナナは、私とミオの後継者だもの」  どこか感慨深げに話すミナに向かって、ナナは胸を張って見せる。 「私が新装備を当てさえすれば、シン君は助かるんだもの。私の狙撃は誰より上手なんだから、絶対に上手 くいくよ」  その自信にマナも心動かされたのか、 「……そうだよね。私がナナの実力を疑ってちゃ、しょうがないよね」  と微笑みを見せた。続けて「ところでお姉ちゃん、その新しい武器って、なんて名前なの?」と疑問を口 にする。 「形式番号なら割り振ってあるけど、名前は未定よ。せっかくだから、ナナに付けてもらおうと思って」  マナは「へーっ」と前置きしてから、隣に座るナナの顔を覗き込んだ。 「どんな名前にするか、もう決めてあるの?」  好奇心に表情を輝かせるマナとは対照的に、ナナは渋い表情になっている。 「うーん……候補はいくつかあるんだけどね。だけどどの候補も、他の武器の名前とは違う感じだから、こ ういうのでいいのかなって、迷ってるんだ」 「ナナのパートナーが使うんだから、好きに決めればいいと思うよ。ナナが決めた名前が、一番似合う名前 になると思うから」 「……うん、そうだね。ありがとう、マナ姉ちゃん」  頷きながら言った後で、ナナは口の端に力を入れ、唇を真一文字にした。それがナナの、何かを決断した ときのサインであることは、マナもミナも昔からよく知っていた。 47、  5月5日、午後5時。実験施設のキャットウォーク上に、ユージはいた。  いつものスーツに身を包み、背筋を伸ばして、腰の後ろで手を組んでいる。やや身を反らしているせいで、 見上げる形になっている視線の先では、実験施設の手前と奥の二辺を覆っている透明な防護壁が、1分間に 5センチほどのゆっくりとした速度で、内側に向かって移動を続けていた。  防護壁の移動は、午後3時から行われたナナとカズトの戦闘訓練が終わってからすぐに開始されており、 予定されている移動距離の6.5メートルのうち、4.5メートルほどの工程が、すでに終了している。残りの2 メートルを40分で消化したあとは、ユージから見て左手にある側の壁面から17メートル離れた位置に、新た に防護壁を築く作業が行われる。そうやって防護壁と右手側の壁に囲まれた地帯の面積を、バスケットコー ト1面分程にまで縮めるのが、今回の作業の目的だ。 「……どうやら、順調のようですね」  不意に背後から声をかけられ、ユージは驚き気味に振り仰いだ。いつのまに近づいていたのか、書類の束 を小脇に抱えたキョウコが、口元を微笑ませてこちらを見ている。  ユージは普段、誰かに背後を取らせることはしない。もし自分の身に何かがあったとき、自分の代わりに 指揮を執れる人間がいないことを、自惚れでも何でもなく、ただの事実として自覚しているからだ。だから こそ、デスブレンを倒してからの8年で護身術も身につけたし、研究所の副所長になってからは、練習用ガ チャボーグであるホワイトシグマを、懐に忍ばせてもいる。  今だって、ユージは気を抜いてなどいなかった。いくら防護壁の移動作業で音が発生しているといっても、 誰かが近づいてきていれば、気配を察知できる自信はあった。しかし何故か、キョウコの接近には気付かな かったのだ。  気付かなかったのは今回だけではない。キョウコと知り合ってからはまだ3年ほどでしかないが、ユージ は幾度となくキョウコに背後を取られている。特に、この1年は顕著だ。ユージとキョウコは、昨晩のミー ティングで情報をオープンにするまで、ずっと秘密を共有してきた。そんな仲であることに安心して、キョ ウコに対して、心を許しすぎているのかもしれない。 「いつの間に来たんですか。驚くから、いきなり後ろからってのは、やめてくださいよ」 「ユージの驚くところが見れるから、面白いのよ」  いつになく子供っぽい喜々とした笑顔で、キョウコはユージに近づいた。ふてくされ顔のユージの右隣に 立って、手にしている書類の束を、ユージに差し出す。 「ワープジャミングの準備は、あと1時間で完了するそうよ。前回はデスブレン側にワープ先の座標を誤認 させる手法を採ったけど、今回はやり方を変えて、ワープ先の座標を無理やりずらす手法を採るそうだわ。 だけどそこに書いてある通り、どう計算しても前後20メートル、左右10メートルの楕円上の範囲で、誤差が 出てしまうみたいね」 「再計算しても、同じ結果でしたか。やはり、予定していた以上に防護壁の内側を狭くすることは、できな いようですね。戦闘領域が狭ければ狭いほど、高機動型ガチャボーグであるデスアクイラの足を殺せますか ら、本当はもっと狭くしたかったんですが……」 「ある程度の余裕をもつとすると、やっぱりバスケットコート1面分より狭くするのは危険ね。デスアクイ ラのワープ先が防護壁の外側になってしまったら、元も子もないし」 「その通りですね。デスアクイラには何としても、この狭い空間にワープして貰わなくてはなりません。広 い空間での戦闘になってしまえば、シン君の救出など、とても不可能ですからね。ただし、最優先するべき はシン君の救出ではなく……」  キョウコはうつむき、ユージの言葉の先を取る。 「デスブレンを過去に戻らせることなく、この地で完全消滅させること。そのためには、シン君ごとデスブ レンを葬り去ることも、選択肢に入れなくてはならない……」 「その通りです。もちろん、ギリギリまで救出は試みますけどね」  ユージは眉根を寄せ、真剣な表情で言葉を続ける。 「デスブレンが持っている、未来に戻るための装置を破壊できればそれに越したことはありませんが、それ をどこに隠しているのか分からない以上、デスブレンの“未来への帰還”を防ぐ手立ては、データクリスタ ルを破壊して、完全消滅させる以外にありません。デスブレンを未来に戻して再侵攻の機会を与えることだ けは、できないのです。例え、シン君を失ってでも」 「……非情な決断だけど、正しいと思うわ。こんなこと、訓練生の前では言えないけどね」 「シン君ごとデスブレンを消滅させるという想定は、一部の人間にしか話しませんよ。特に訓練生達は、ま だ幼い。話したところで、混乱と反発を引き起こすだけでしょうから」 「また秘密の共有なの? ユージと会ってからの3年って、そればっかりね」  冗談めかしたキョウコに対して、ユージは真剣な顔のままぼそりと呟いた。 「……あなたには、心を許してるからですよ」  呟いた、というよりは、思わず呟いてしまったと表現した方が適切だった。しまったと思った時にはもう 遅く、キョウコはこちらを見たまま、目を見開いて硬直している。  ユージは手にした書類を大仰に振りまわしながら「と、とにかく、報告は承りました! あとは整備班と 合流して、シンクロシステムの再調整をお願いします!」と声を荒げるや、研究施設の方へ向かって、足早 に去っていく。  その背中をキョウコが追いかけてきていることには、ユージはまたもや気付かなかった。