5、  トレーニングルームの1階部分は板張りになっていて、見た目はシンの通う中学校にある体育館とほとん ど変わらない。今日は誰の姿も無いが、普段はここで訓練生の体力を強化するプログラムが行われている。 プログラムのしんどさは、訓練生になることの対価として払われる、高待遇の生活を投げ出してでも逃げ出 したくなることで有名だ。  訓練生の中には、どうしてガチャボーグを扱うだけなのにこんな地獄のトレーニングをするのか、という 声も当初はあった。しかし、実際に訓練用のホワイトシグマ――デスボーグ・シグマをベースに開発された 訓練機――を扱うようになってからは、不満の声は一切聞かれなくなった。GFエナジーの放出には、体力 的・精神的な疲弊がつきまとうためである。  コウたちのガチャボーグは意志を持っているため、コマンダーから送られてくるGFエナジーをどう出力 するのかを自身で決定するだけの知能を有している。だから、コマンダーはガチャボーグの一挙手一投足ま で管理する必要は無い。  だが訓練生が使用する人工ガチャボーグは、どの機体も知能を持っていない。そのためボーグにGFエナ ジーを送信するのに上乗せして、手足を動かすための命令を送信してやらなければ、まともに歩くことさえ できないのだ。当然、コマンダーにかかる負担は段違いに大きくなる。 「なんだか、あやつり人形みたいですねぇ……」  ホワイトシグマを受け取ったときに、ナナがシグマの細い手足を指で動かしながら言った言葉だ。人間の 全身全霊をこめて操作する人形。人工ガチャボーグの例えとして、これ以上の言葉はないだろう。  シンは入り口から直進してトレーニングルームを横切り、反対側の壁に取り付いた。何の変哲も無い壁の 一角に、開いた右手を押し当てる。すると赤い横長の光が手首から指先の方へと走りぬけていき、続いてシ ンの目線の高さにある壁の一部が左にスライドする。そうして現れた10センチ四方ほどのガラス窓の中央 には、一眼カメラのレンズのような物体が、ガラスの向こうからシンの瞳を覗いていた。  指紋と網膜による認証。トレーニングルームに入るまでのセキュリティよりも明らかにハイクラスのもの が採用されているのは、もちろんこの先のエリアが極秘の情報であふれているためである。  網膜のチェックが終わると、シンの立ち位置より1メートルほど左にある壁が奥へ後退し、大人一人が通 れるほどの通路が出現した。訓練生でも許可が無くては入ることを許されない、地下研究所への入り口であ る。  通路に入ると、すぐ右に下り階段がある。そこから下の階に降りると、10メートルほどの直線の通路が 現れた。脇目もふらずに淡々と通路を通り過ぎると、突き当たりの右側に、再び下り階段がある。セキュリ ティ強化のため、一気に研究所まで下りられる階段は作られていない。面倒でも、こうして短い階段と通路 を交互に通過しながら降りていかなくてはならないのだ。  階段を4回降りたところで、通路の先にエレベーターが設置されているのが見えた。シンはドアの横に立 ち、研究所への立ち入り許可を与えられた者に配布されるカードキーを使って、エレベーターのドアを開け る。ゴンドラに乗り込んだら今度はパスワードを入力して、地下深くにある研究所へと続くエレベーターを 作動させる。  これだけの面倒な行程を経て、シンはようやく研究所にたどり着くことができた。  エレベーターのドアが開くのと同時に飛び込んできた映像は、真っ白な壁と床に囲まれた、巨大な部屋だ った。先ほど通ってきたトレーニングルームよりも一回り大きなこの部屋が、人工ガチャボーグの実働実験 施設である。  エレベーターから降りたばかりのシンが立っているのは、その上部に張り巡らされたキャットウォークだ。 ここと実験施設の内部とは透明な防御壁で隔てられているだけなので、何の障害も無く内部の様子を見るこ とができる。今日はアクイラの実戦テストを、ユージと所長がここから見ることになるのだろう。  ユージと所長が先に行ってから、もうずいぶん時間がたっている。早く研究施設の方へ行ってアクイラを 受け取らなければ、予定時刻に遅れかねない。だが、シンはその場で立ち尽くしたまま、真っ白な実験施設 の中になぜか一箇所だけ存在する、黒い床を見つめていた。  かつてこの場所は、デスブレンのサハリ町における前線基地だった。デスベースと呼ばれたこの基地で1 日に数十体ものデスボーグが生産され、ガチャフォースのボーグたちへ襲撃をかけていたという。しかし地 上におけるデスブレンの勢力は日増しに弱まっていき、デスブレンはこの基地を捨ててデススカイベースへ 本拠地を移さざるを得なくなった。  そうしてデスベースが完全に放棄されるまでの防衛を任されたのが、リンのパートナーであるダークナイ トだった。ダークナイトは基地がコウとGレッドに発見されたことを知って一計を案じ、Gレッドの奪われ ていたデータとリンへの想いをコウたちに託し、リンと離れたまま散ったという。  ここがデスベースだったころは、施設の床と壁の大半は黒い素材で造られていた。研究所が造られるとき に白く塗り替えられたのだが、ユージの提案で、ダークナイトが果てた場所の床だけは、今でも黒いまま残 されているのだ。 「ダークナイトの墓……か」  視線を黒い床に固定したまま呟くシンの胸中には、かすかな悔しさがあった。ダークナイトとリンの出会 いも、デスベースでの決戦も、デスブレンとの死闘も、自分がいないところで起こったことだ。  当事者になれなかった自分にとって、旧ガチャフォースメンバーの間に存在する絆は、強固で不可侵なだ けでなく、自分と無縁なものである。リンの従姉弟であり、ショウの弟分であり、ユージの生徒である自分 でも、彼らの輪の中に入ることは不可能だ。  どうして輪に入れないことを悔しく思うのか。その理由は分からない。だが、リンとダークナイトの絆の 証である黒い床を見ていると、過去の自分がアクイラを持っていればガチャフォースの一員になれたのに、 という思いがこみ上げて来ることは確かだった。  一方、地上にある応接室では、キョウコとナナが向かい合って座っていた。両者が座っているソファーの 間には低いテーブルが置いてあり、話すのに適した距離が保たれている。 「あの……勝手に来ちゃって、すみませんでした」  先に口を開いたのはナナだ。目の前に背筋を伸ばして座っているキョウコに向かって、ぺこりと頭を下げ る。 「そのことでしたら構いません。頭を上げて下さい」  言われて、ナナは頭を戻し始めた。キョウコはナナと視線が合うのを待ってから、 「今日あなたが来ていなければ、明日にでも呼び出して、話をするつもりでした」  と続ける。 「お話って……何でしょうか?」  わざわざ呼び出してまでするような話だ。さぞ重大な話を聞かされるのだろうと予測して、ナナはおどお どと尋ねた。ナナ専用機のトラブルだろうか。それとも発表会が延期になってしまうのか。何にしてもコタ ローとの約束が反故になってしまうことだけは言わないで欲しいと、ナナは内心に祈った。  質問を投げられたキョウコは、両目を閉じてうつむき、話すのをためらった。しかしそれも数秒のことで、 いつも通りの硬質な声で、ナナへの言葉を告げる。 「あなたと縞野君との約束が、絶対に叶わないということです」 「…………はぃぃ?」  奇声を発したナナの体(てい)は、目は視点が定まらず、顎は緩んで口が開きっぱなしになっている。茫 然自失になりかかっていることは、疑いようは無い。  キョウコは話の最初に爆弾を持ってきてしまったことを後悔した。約束が叶わない理由を説明する方が本 題なのに、ナナが話しを聞ける状態でなくなってしまっては本末転倒である。  その後、キョウコはどうにかナナの精神を繕いながら、後に続く説明を続けていった。