3、  翌日の正午、シンは車中の人となっていた。  いつもなら自転車で研究所に向かうのだが、今日に限って、シンがマンションを出たところで、待ち伏せ するように車が置いてあったのだ。  わざわざ車で迎えに来るなんて普通じゃない。今日のテストには何かがある。シンは後部座席に座りなが ら、強張らせた表情で、運転手の方をにらんだ。  前部に座って車を運転しているのは、ユージの補佐役である六節香子(ロクフシキョウコ)だ。  キョウコは170センチ近い背丈を持っており、乱れ一つない黒のパンツスーツにノーフレームの眼鏡、 黒髪のショートカットという取り合わせが、高潔で知的な印象を与えてくる。  男子の訓練生からは「カッコいい」と好評だが、シンは硬質さを感じさせるキョウコが、どうにも好きに はなれなかった。  以前、ユージから聞いた話では、キョウコは元々ガチャフォースとは縁の無い生活をしていたそうだが、 ユージが研究所に雇われるときの交換条件として、ガチャフォースメンバーの進路に干渉をしないことと同 時に、キョウコを補佐役として付けることを挙げたという。しかし、ユージがどこでキョウコと出会ったの か、なぜガチャフォースとは無関係だったキョウコを補佐につけたのかは、聞いても理由を答えてくれなか った。  シンが表情を変えぬまま、ルームミラー越しにキョウコの顔を見る。すると、シンの緊張を解きほぐすよ うな柔らかな声色が、キョウコの口から流れてきた。 「そんなに構えなくても大丈夫よ。今日のテストは、短時間で済むものだからね」  言いながら、キョウコが右にハンドルを切る。角を曲がるのはこれが最後で、あと2分ほど直進すれば、 研究所の外門に到着する。  シンは、キョウコが感情を乗せた言葉を出してきたことに驚いた。いつも事務的なことを無機質に話すだ けの人だと思っていたが、よく話してみれば意外と優しい人なのかもしれない。  しかし、キョウコが普段どおりに話さないということは、やはり今日が特別な日であることは間違いなさ そうだ。 「もしかして、実機で戦闘をやるんですか?」  シンはシートから背中を離し、前傾姿勢になりながら、ストレートに尋ねた。  キョウコは一瞬口ごもったが、すぐに「その通りです」と返してきた。声色は、先ほどより固さを帯びて はいるが、まだ柔らかい。 「相手は誰なんです?」  シンは体制を変えぬまま、質問を重ねた。今のキョウコなら答えてくれるだろうと踏んでの行動である。 しかし、キョウコは視線をフロントガラスの向こうに固定して、シンの存在を遠くに追いやると、「現状で 知るべき事項ではありません」と質問を一蹴してきた。いつもどおりの硬質な声だった。  シンは体勢を戻し、再びシートにもたれかかった。視線を車窓に移しながら、やっぱりこの人は好きにな れないと、心中にぼやいた。  外門で警備員からの身分チェックを受けてから、シンは車から降りた。駐車スペースは少し離れた地下に あるので、キョウコが車を置きに行くのに付き合うよりは、ここから歩いていった方が、研究所に着くのは いくぶん早い。  外門から3分ほど歩いて、研究所の正面玄関に到着する。その前にシンが立つと、ガラス張りの自動ドア が左右に開いた。ガチャボーグ研究という重要機密を扱っていることを考えれば、ガラス張りの玄関など論 外に聞こえるが、この研究所が機械工学の研究施設という建前で住民の理解を取って建てられている以上、 あまり軍事要塞のようにはできないという事情があった。  ドアをくぐってロビーに出る。円形をしているこの部屋は、いつもなら3、4人の訓練生が、配置された ソファに座りながらお喋りを交わしている場所なのだが、今日に限って、その喧騒は聞こえて来ない。今日 の日程にはシンのテストしか入っておらず、他の訓練生がまとめて休みになっているせいだ。高待遇という 対価が得られるとはいえ、ここの訓練は地獄である。みんな、トレーニングの無い日には研究所に近寄りた くないのだろう。  シンは左側に備えられたカウンターの中にいる、受付兼警備員のスタッフに軽く会釈をすると、ロビーか ら左右に伸びる通路を、右へと進んだ。通路の上に掲げられた案内表には「実験施設」とあるが、これも表 向きのことで、実際には訓練生たちの更衣室やトレーニングルーム、訓練用ガチャボーグの格納庫などが存 在している。  ここも変わらぬ静けさで、シンはいつもより早足で通路を進んだ。が、角をひとつ左に曲がった先にある 更衣室の前まで来て、ピタリと足の動きが止まった。通路の突き当たりに見えるトレーニングルームの扉の 前に、誰かがしゃがんでいるのが見えたせいだ。 「・・・・・・誰だ?」  シンが呟いた。しゃがんでいる人物とは10メートルほどの距離があったが、静かで狭い通路には、音が よく響いた。シンの声に気づき、人物は立ち上がる。 「シン君!」  立ち上がるなり、人物はシンに向かって猛突進してきた。シンは驚いて目を見開くと、あわてて振り返り、 通路を全力で逆走し始める。 「ちょ、ちょっと待って! 止まってよ!」  シンの後方から叫ぶような声が聞こえてくる。その声が耳慣れたものであったことが、動き出した足を止 めさせた。シンは、もう一度トレーニングルームの扉へと向き直る。 「もう、いきなり逃げることないのに・・・・・・」  シンの眼前で呼吸をわずかに乱しながら、人物は言った。人物の身長はシンの背丈よりも一回り低く、小 柄できゃしゃな印象を受ける。シンはよく見知ったその人物に向かって、眉間にしわを寄せながら、感じた 疑問を率直に投げかけた。 「ナナ、何でここにいるんだ?」  言ったシンの顔つきは、珍獣でも見るかのようである。休みの日に研究所に来るだけでも奇特なのに、ソ ファーがあるロビーではなく、通路の地べたに座って待ち伏せをしているなんて、もはや奇行としか言いよ うが無い。さらに、ナナの口から「何って・・・・・・シン君の応援だよ?」と返ってきて、シンは目の前がゆが むほどの脱力を覚えた。 「今日テストするのは、俺の専用機だぞ? 専用機のテストは訓練生にも非公開だって、俺と同じオマエな ら、良く知ってるだろ?」   シンが“同じ”だと言ったのは、専用機を与えられた訓練生という点である。  新たに開発された人工ガチャボーグには、25機の量産機のほかに、2機の専用機が存在している。専用 機のコマンダーは、訓練生の中で上位にいる者から選抜試験によって選ばれ、結果として総合2位のシンと、 総合3位のナナがコマンダーに選定された。  ナナの専用機はすでにテストを終え、発表会に向けての最終調整が行われている。シンよりも先の行程を 進んでいるナナが、テストが非公開であることを知らないはずはないのだ。  しかし、ナナは平気な顔で「うん、知ってるよ。けど、それでも応援に来たかったの」と返してきた。 「・・・・・・変なやつ」  表情を崩さないまま、シンがぼそりと呟く。すると突然、ナナの顔色が緊迫したものに変わった。 「何をグズグズしている?」  シンにかかってきた声は、ナナのものではない。背後から、別の誰かが発したものだ。頭の上から降って くるように聞こえることから、大人のものであることは容易に判別できる。  シンはくるりと後ろを振り向き、視線を上げて声の主と正対した。目の前にいたのは50代後半と思われ る小太りの男で、その背後にはユージとキョウコが控えている。男の目は睨むように細くなっていて、背の 低いシンには、それが見下しているように感じられた。 「ご無沙汰しております、所長殿」  かかとを揃えて背筋を伸ばし、気をつけの姿勢をとりながら、シンは慇懃に言った。むろん、建前上の行 為である。  研究所の所長とは言っても、この人物が研究所に姿を見せることは、ほとんど無い。シンと会ったのも、 訓練生として研究所に入ったときに、式典で長々と励ましの言葉をもらったとき以来である。研究所に備え られた所長室も普段はユージが使用しているので、名目だけの所長ということは、訓練生の年少組でさえし っかりと把握していた。  シンにつられて、ナナも直立不動の姿勢を取る。所長は一つ咳払いをして、再び何かを言い出す気配を見 せた。しかし、絶好のタイミングでユージが割り込んでくる。 「JGB−21はトレーニングルームの地下に用意してあります。急ぎなさい」 「はいっ!」  言うやいなや、シンは更衣室の扉をくぐり、中に消えていく。シンと違って行く当ての無いナナはおろお ろとするばかりだったが、急に所長の前へ出てきたキョウコに腕を引っ張られ、所長室の方へと連れて行か れた。  目の前の急展開に、所長は事態が飲み込めず、付いていけない様子だったが、 「さあ、では地下へ参りましょう」  とユージに促されて、ようやくトレーニングルームへの歩みを再開させていった。