2、  シートベルトを外し、キーを抜き取ってから、ユージは車を降りた。ここはサハリ町の住宅街の一角にあ る空き地である。  外からドアをロックし、車のキーをズボンの右ポケットに入れると、ユージはサイドミラーの角度を手動 で変えて、身だしなみのチェックを始めた。若年でありながらガチャボーグ研究所の副所長、およびGFコ マンダー訓練生の教官という重要ポストに就いているせいで、年齢を重ねた人々から細かい身だしなみを指 摘されて「これだから予算ほどの成果を挙げられんのだ」と鼻で笑われることを、これまでに何度か経験し ていたせいである。  無論、コタローの家に行く程度で、そのような目に遭遇することは考えられない。しかし役職上、ユージ はコタローの先生である。気の抜けたところは見せられないという気負いが、ユージにミラーを覗かせてい た。  目だっておかしい箇所は無い。しかしシートに座ることで付いたスーツのしわが気になるのか、ユージは 手のひらでゆっくりと腰の辺りを撫でながら、50メートルほど先にあるコタローの家を目指して歩き始め た。  これから会いに行くコタローという少年は、8年前のデスブレンとの戦いでは貧弱な戦力でしかなく、特 にガチャフォースに入りたての頃は、上級生に助けてもらうことが多かった。しかし、そんな小さな男の子 も、今では中学3年生になっている。  現在、ガチャボーグ研究所には20名の訓練生が所属しているが、デスブレンとの戦いを経験したのはコ タローひとりだけだ。現行最強という実力だけでなく、実戦の経験も備えていることが憧れを助長させるせ いか、訓練生たちは誰もがコタローを目標にして、日々の研鑽(ケンサン)に励んでいる。  しかし女子の訓練生にとって、目標以上の存在になってしまうことも、これまで度々起こっていた。その 度に指導役であるユージは頭を悩ませたものだが、コタローは結局のところ、誰とも関係を持つことは無か った。そうなったのは、兄貴分であるコウの鈍さが伝染していることが原因だろうと、ユージは結論付けて いる。  両脇を塀で目隠しされた細い道を進むと、T字路に突き当たった。ユージが道を左に折れると、5メート ル先の左側に、コタローの家の玄関が見える。呼び鈴を押すまでに1分もかかるか怪しい距離だったが、ユ ージは何故かいきなり身をひるがえして、T字路の角に隠れた。  頭だけをそっと角から覗かせて、玄関前の様子を伺う。すると、そこでコタローと女の子が会話をしてい るのが見てとれた。 「あの・・・発表会が終わったら、一緒にさばな市に行きませんか?」  言ったのは女の子のほうだ。頬を赤らめていることから察すれば、彼女にとっては告白にも等しいほどの 勇気を必要とする行為だったのだろう。  ユージはその顔に見覚えがあった。訓練生の一人、三枝奈々(サエグサナナ)である。  今年で中学一年生になったナナは、海原美魚・真魚(ウミハラミナ・マナ)の姉妹と家が隣同士で、ふた りからは妹のように可愛がられている。海原姉妹との仲の良さは、三人で行動するときに、よく三姉妹に間 違えられるほどだ。  コマンダーとしての素養は高く、総合な実力ではコタロー、シンに続く三番手の位置にいる。しかし狙撃 の命中率に限って評価すれば、彼女の右に出る者は誰もいない。  緊張しているナナとは対照的に、ぼんやりした声でコタローが返す。 「でも、せっかく訓練が休みなんだぜ? 俺よりミサキたちと遊んでた方がいいんじゃないか?」 「いえ。私はその、コタロー先輩と一緒の方が・・・・・・」 「なんで?」  あまりに茫々(ボウボウ)とした態度のコタローに、ユージは他人事ながら頭を抱えた。 「あ・・・・・・あの、それは・・・・・・」  ナナは紅潮した顔を地面に向けながら、しどろもどろになる。  そこへ追い討ちをかけるように「どうしたんだ?」と言いながら、コタローはナナの顔を下からのぞき込 んだ。いきなり間近に出てきたコタローの顔に驚いて、ナナは反射的に飛びのく。  すると、間合いが開いたことで、撤収するのにいいタイミングだと判断したのか、ナナは 「じゃ、じゃあ発表会の日にっ・・・・・・!」  とだけコタローに言い残しながら、一目散に奥の道へと駆けて、去っていった。 「なんなんだ、ナナのやつ・・・・・・?」  まだ鈍感な反応を崩さないコタローを尻目に、ユージはいたずらを思いついた子供の顔で、車へと戻るこ とを決めた。 「えへへ・・・・・・誘っちゃった」  誰もいない河川敷で体育座りをしながら、ナナはひとり呟いた。  胸の鼓動はだいぶ治まっているが、先ほど目の前にあったコタローの顔を思い出すと、心臓の下半分が締 め付けられて、上に飛び出してきそうな感覚が襲ってくる。  頭を下げ、上目遣いに川の流れを見つめるナナの思考には、当日のイメージがはっきりと映っていた。  史上初の人工ガチャボーグと共に、ステージに立っている自分。それを遠くから優しく見守っているコタ ロー。発表会が終わったら、研究所から少し離れたところで待ち合わせて、さばな市を二人で並んで歩いて いく。 「コタロー先輩、きっと、私と一緒に来てくれるよね・・・・・・?」  思いをはせるうちに、心音はどんどん高鳴っていく。まるで、心臓を破いてしまうかのように――。 「わっ!!」  とつぜん背後で発せられた大声に、ナナは心臓を押さえて立ち上がりながら「ひゃあっ!!」と奇声を上げ た。 「油断はいけませんよ、ナナさん」  背後から聞き覚えのある声がする。しかしナナは心臓の鼓動を抑えるのに必死で、振り返る余裕などない。 「重要な任務を果たしたあとこそ、アクシデントに備えて心構えをしておくべきです。古来、日本武道には  残身というものがありまして・・・・・・」  ここでナナは後ろを振り返り、長くなりそうな解釈を大声で遮った。 「おどかさないでください! 私の心臓を止めたいんですか!」  普段はおとなしいナナも、今回ばかりは抗議の声を荒げた。  しかし、ナナの前にいる人物――ユージは、それでも自分のペースを崩さない。 「いやいや、私は心配をしているのですよ。約束を取り付けても、どんなアクシデントで破談になるか分か  りませんからね。常に気を引き締め、最大限の警戒をしていないと・・・・・・」 「なんで約束のことを知ってるんです?」  じとっ、と半目で睨まれて、ユージは語勢をストップさせた。 「立ち聞きしたんですか? 最っ低ですね」 「いや、あの、それはですね・・・・・・」  先ほどのナナと同じくらい、ユージの発言はしどろもどろになっている。 「さ、先のことなんて、分からないではありませんか。明日のシン君のテストで結果が悪ければ、発表会が  延期になるなんてことも・・・・・・」 「いじわるばかり言う人って、嫌いです」  訓練のときに見せる狙撃のような正確さで、ナナはユージの精神を撃ち抜いた。手塩にかけた訓練生に嫌 いだと宣言されてうなだれるユージをよそに、ナナはツンとそっぽを向きながら、土手の向こうへと歩き去 っていく。  ナナの背中が土手の向こうに消え、河川敷にひとり取り残されたとき、ユージはぼそりと呟いた。 「すみません、ナナさん。その約束は、絶対に叶わないんですよ・・・・・・」